椎名としあき後援会

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上市町 椎名としあき後援会

ご挨拶 上 市 町 へ の 想 い

 私は昭和41年1月、上市町西中町に生まれました。西中町にあった銭湯「松の湯」の長男です。

 小学生時代は上市中央小学校に通い、自転車クラブに所属。毎日の厳しい練習の末、全国優勝を果たし、上市駅前での優勝パレードは今も鮮明に記憶に残っています。この経験を通じ、「こんな田舎からでも努力すれば日本一になれる」という自信と、ふるさとへの誇り=上市プライドが、幼い心に深く刻まれました。

 中学校・高校は富山市内に通学しましたが、友人から「上市は田舎だ」と言われても、その誇りは揺らぐことはありませんでした。むしろ「富山市何するものぞ!」という気概を胸に、上市を愛し続けました。

 大学は東京に進学し、昭和63年、バブル景気真っ只中での就職活動。多くの同級生が東京での就職を選ぶ中、私は故郷への想いを捨てきれず、迷った末に上市町へ戻る道を選び、北陸電力に入社しました。

 北陸電力では「経理」「資材」「秘書」「総務」といった事務部門をはじめ、事務職ながら原子力発電所での勤務も経験し、35年近くの歳月を重ねました。富山支店総務部長時代には、富山県や上市町を含む自治体と日常的に関わる中で、地域によって業務運営や判断スピードが大きく異なることを実感しました。この客観的な視点は、上市町の強みと課題を見極める上で大きな財産となりました。さらに、上市町と北陸電力との「災害時包括連携協定」を取りまとめるなど、町の安全・防災体制強化にも尽力しました。

 結婚後は迷うことなく上市町に自宅を構え、人生の大きな岐路では常に上市町を選んできました。これは、自分が持つ「上市愛」の強さを何よりも示すものだと自負しています。

 現在59歳。若すぎず、高齢すぎず、これまで培った経験・知識・人脈を最も活かせる時期だと考えています。今の上市町に、少し停滞感や元気のなさを感じておられる方もいるかもしれません。だからこそ、責任ある世代が真剣に考え、行動し、次の世代へ**「明るい未来」**をつなぐことが大切です。

 私はこれまでと同じく、ふるさと上市町を選び続け、全力でこの町と向き合います。そして、皆さまと共に、誇れる未来を築いてまいります。

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